「日常を切り取る」無事全日程を終了しました
みなさま
この大変な時期に開催できたこと、心から感謝しております。
気にかけてくださった方、足を運びたくとも断念された方、その旨ご連絡くださった方、いろいろな想いがあると知りました。
こちらも直前に開催を諦めかけましたが、出演の冷静かつ心強い後押しもあり、なんとか開催にこぎつけました。
ありがとうございました。
「日常を切り取る」という作品のアイデアは、ちょうど一年ほど前に立ち上がりました。
日常生活の中で使っている持ち物や道具を手にすること。
ひとりひとりが部屋にいて、お互いに見えないこと。
そして空間の中にひとりひとりが偏在しているイメージがありました。
それがシーン1.の元になっています。
会場となったthe SITEに佐久間さんと足を運んだのが昨年7月。瓜生山を見ながら佐久間さんが「遠隔ダンスをしよう」と言ってくださいました。
遠く離れた人と人が「交信」し、共に踊る試みです。
それをシーン2.全体を使って、最終的には観客を巻き込んでの「交信」となりました。
シーン3.では「椅子」と「シーツ」を真ん中に、4人のダンサーの生み出す関係性から物語を紡いでいきました。
そこに見えてきたのは、モノを介しての接点の持ち方、人と人との接点の持ち方、そしてそれらは多様であること。
シーン2.で遠隔で関わった人々が、シーン3.で接点を持ち始めます。そこには生きるジダバタがあり、悲喜こもごも、いがみあったり助け合ったり、それが瞬時に関係性の中で生まれては消えていく。
人は人の間で揉まれて生きていくものなのかもしれません。
新型コロナウイルスがわたしたちの生活に入り込んできて、人と会うこと自体も危ぶまれている状況ですが、その状況とこの作品が奇しくも重なりあい、もともとあった作品性に意味が加わったのだと思っています。作品は世の中の流れを吸収し、作るわたし達の意図を上回って、その意味をはらもうとするのかもしれません。
そしてこの先、この作品で得たものをわたし達はどう深めていけばいいのか。
全編通じてわたしが夢中になったのは、モノに息吹を吹き込むことで非日常が広がることでした。モノが力を持ちはじめる、ということ。日常と非日常は地続きであり、それが人のイマジネーションでいかようにも広がる。その可能性は無限であると。
視線を遠くにすることや、モノの見方を変えること、そんなささやかな非日常が日常の隣りにあります。そこはぱっきりと二つに分かれているのではなく、グラデーションになっている。耳をすませば何か聴こえる。気配を感じる。
公演を通じて、その感じ方は人それぞれだということを知りました。演る方も観る方も、ひとりひとりまったく違う感度と感性で、その人の非日常をとらえている。
今はひとりひとりが世界に偏在し、独特の感度と感性で、みずからの非日常を見出す時なのだと思います。そしてまた、悲喜こもごも、人と人の間でわたし達がジダバタする日が来るでしょう。外に出ていく日を心待ちにして、今はひとりひとりの時間を生きようと思います。
ありがとうございました。
この先もダンスを繋げていきます。
4月6日
kiyamania
帰山玲子
写真:梶ななこ
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